九条邸跡(拾翠亭)
現在の九条邸は庭園部分のみが整備されて残る。庭園の池(九条池)の中島には九条家の鎮守社であった厳島神社が現存し、さらに池畔には拾翠亭と呼ばれる茶室が現存する。
拾翠亭
寛政年間(1789〜80)に九条家の離れとして建造され、主に茶会や歌会に使用、貴族や公家、文化人の社交の場として、往時の貴族の風流をしのばせる。
九条池
池の形から勾玉池と呼ばれています。建設当時の安永7年(1778年)頃は東山を借景とし、拾翠亭からの眺めを第一につくられたといわれています。
厳島神社
九条家の鎮守社と伝える。本殿前にある小型の鳥居(重美.室町)は、京都三珍鳥居の一つとされている。広島・安藝厳島神社の分社です。
鷹司邸跡
平安末期、藤原忠通の時に長男基実が近衛家、三男兼実が九条家と分かれ、近衛家では鎌倉時代の中頃、基実の孫家実の四男兼平が鷹司を興す。家名は平安京の鷹司小路(現下長者町通)に由来する(兼平の邸宅が鷹司室町にあった)。
京都博覧会会場跡
明治4年に知恩院等で開催され、明治7年には御苑内に会場を移し、仙洞御所の庭で動物園を清所門内には扇子・陶器・漆器などの売店も並んだ。一人5銭で御殿に近づける事が非常に好評で、延長を含め全90日間開催された。
御花畑(凝華洞跡)
同地は女院御所、院御所のあった地で、後西天皇や東山天皇は退隠後に同地を仙洞御所としたといわれている。京都守護職松平容保は、幕末同地を仮本陣として御所の守備に着いていました。
建礼門
建礼門は御所の正門で平入の四脚門である。「開かずの門」だが、いまは天皇と同行される皇后、外国国王、大統領の通行にも開門される。
建春門(日の御門)
京都御所の内構を固める6つの門の一つで、江戸期までは勅使の出入りに使われていましたが、明治以後は皇太子や皇后の出入りに使われるようになりました。また、外国の元首が出入りする際にも使われています。
学習院跡
弘化4年(1847)孝明天皇が学問所を建て、御所に勤めている役人及びその子弟に学問を教えるところでした。幕末期には、若手公卿が情報収集のためと称して尊王攘夷派の志士と面会する場となり、尊攘運動の温床となりました。
橋本家跡(和宮実家)
皇女和宮の生誕地(実家)。仁孝天皇の八女で、孝明天皇の妹。和宮は公武合体のため14代将軍徳川家茂に嫁ぎました。
京都迎賓館
日本の歴史、文化を象徴する都市・京都で、海外からの賓客を心をこめてお迎えし、日本への理解と友好を深めていただくことを目的に、東京の洋風建築とあわせ、京都の和風建築を国公賓など賓客の接遇の場とします。