平安京の古道・鳥羽の作り道周辺の史跡を訪ねて   
      
 
「鳥羽の作り道」は、鳥羽の港から平安京の正門である羅城門までの当時の幹線道路で、外国の使節もこの道を通って都に入ったとされます。兼好法師も徒然草に「鳥羽の作り道は、鳥羽殿建てられて後の号(な)にはあず、昔よりの名なり」と書きつづっています。また、吉祥院天満宮は、菅原家三代相伝の地です。この古道の周辺の史跡を訪ねます。


          
  

 浄禅寺
 
浄土宗、恵光山と号す。六地蔵めぐりの一つ。開祖は、文覚上人。寿永元年(1182)創建と伝える。本堂には、阿弥陀如来立像、観音堂には、十一面観音立像を安置する。地蔵堂には、有名な地蔵菩薩立像がある。サクラの木から彫った六体の一つ。門前には、「恋塚」で知られる五輪塔があり文覚上人が出家する契機となった「恋塚」伝説が伝えられている。

   

※ 文覚上人、鎌倉前期の真言宗の僧、俗名遠藤盛遠。出家して、神護寺の再興を志し、朝廷に寄付を強要して伊豆に配流されたが、源頼朝の知遇を得て活躍、神護寺、東寺を再建。頼朝死後失脚し、佐渡に流された。



 鳥羽の作り道
 
鳥羽の作り道は京都で最も古い道の一つで、平安京の正面玄関である「羅城門」から真っ直ぐ南に通じるこの道は平安京造営に伴う資材運搬の人工の道路として拓かれた。この道はもともと道がなかった低湿地に、人の手で細長く土盛して作られたので「作り道」と呼ばれたといわれている。



 行住院
 
天正年間(1573〜1592)の創建、浄土宗。城向山と号す。本尊阿弥陀如来。当初「普願庵」と号したが、寛永年間に(1624〜1644)知恩院宮良純親王(後陽成天皇の皇子)」から「行住院」の扁額を賜ったので「行住院」となる。門前左右のお堂の、薬師如来・大日如来は当寺近辺にあった寺院から移されたもので、薬師如来は、重要文化財。お堂前の石仏も明らかに他所から持ち込まれたものであろう。

    



 
誓祐寺(せいゆうじ)
 
浄土宗、建暦年間(1211〜1213)の創建。社伝によると、石童丸の父「刈萱道心」が高野山に登る前一時此処にいたとされ、「かやんどう」といって親しまれていた。本堂には道心念持仏「阿弥陀如来坐像」を、傍らに石童丸と思われる小さい地蔵石仏を安置する。

  














 実相寺
 
日蓮宗、正覚山と号す。文和年間、日像の弟子「大覚僧正(妙覚)」開創。後、妙覚寺の隠居所とした。近世初頭、不受不施派に対する弾圧を受け、50年ほど廃絶。その後、松永貞徳の兄が住職となり、復興。貞徳も帰依。貞徳の墓がある。貞徳没後、彼の旧宅、「芦の丸屋」を移築したと伝えるが、今はない。大覚僧正が勅願により、雨乞祈願を行った。祈願した時三度うなずいたという日蓮うなずきの像を本堂に安置する。

   



 菅原清公の墳墓
 
吉祥院稲葉町に存す。平安初期の学者、道真の祖父清公の墓。地元の人たちは「おこり山」と称して立ち入ることを禁じた。承和9年に72歳で没す。

 
香泉寺(菅原是善)の墓
 墓は、吉祥院高畑町「香泉寺」内にある。高さ1.5mほど、花崗岩の五輪板塔婆、表面に微かに梵字が見える。菅原道真の父。元慶4年68歳で没す。


    
          
菅原清公卿御墳墓                         香泉寺・菅原是善卿御墳墓


 吉祥院天満宮
 
 
祭神は、菅原道真。菅原氏の氏寺吉祥院に道真の霊を祀ったのに始まるという。934年に天神のお告げがあって創祀したともいう。「吉祥院」は古くは菅原氏の領地。道真の祖父清公が渡唐の際、同船した最澄が吉祥天女に祈って暴風を避け、帰国後吉祥院を建てたと伝える。後、道真を祀る吉祥院天満宮が造営される。この土地は桓武天皇が平安京に都を遷された時に道真の曾祖父古人・祖父清公がお供して都に入り、天皇より領地として賜わった。8月25日夜に吉祥院六斎念仏(国指定重要無形民俗文化財)が奉納される。

    


    菅原道真公ゆかりの史跡 (吉祥院天満宮境内と周辺)

   
    菅公胞衣(えな)塚                      鑑の井                         北政所墓所(道真夫人)墓

        
                        
  菅丞相(菅原道真の別称、)硯之水 菅公幼少の頃、勉学・手習いに用いられたと伝える井戸跡
  今は石碑が建つのみ。昭和61年に井戸を掘り硯型の碑を篤志家の奉納で建てる。


 羅城門 

 
朱雀大路の南端にあった平安京の表玄関。間口約32メートル、奥行約8メートル、重層、瓦葺、屋上の棟には鴟尾が黄金に輝いていた。980年の暴風雨で倒壊、以後再建されなかった。東寺にある兜跋毘沙門天像(国宝)はもと羅城門上に安置されていたものと伝える。

   



      

                      京都歴史ウォーク


 ウォーク案内図 (・・・・・歩行順路 )