慶頼(醍醐天皇皇太子)王墓 
 
京大校舎の建ち並ぶ東大路通東一条交差点を西に入り、一筋目の小路を右に進むと慶頼王墓がある。住宅に囲まれ、それと気づく人は少ない。慶頼王は醍醐天皇皇太子保明親王の王子(醍醐天皇の孫)、父保明親王が21歳で薨去のため僅か3歳で皇太子になるも2年後に薨去した。道真公の怨霊の祟りとささやかれた。






村上天皇中宮安子火葬塚

 慶頼王墓の道を北にしばらく進むと突き当りに村上天皇中宮安子火葬塚がある。中宮安子は冷泉・円融天皇の生母で、女御から皇后となり、天皇には多くの女御・更衣がいたが後宮にゆるがぬ権力をもった。宇治木幡の村上中宮安子宇治陵にねむっている。


白川道道標
 東大路通東一条交差点の東北角に、沢村道範が建立(江戸中期)した道標(左 百まんべんの道 右 からさき さかもと 白川の道)がある。沢村道範建立の道標は京都に3ヶ所現存している。山科の旧東海道筋に2ヶ所。






京都大学 旧第三高等学校跡
 明治22年、第三高等中学校(明治27年に第三高等学校に)がこの地に移転(大阪から)。明治30年、京都帝国大学がこの地に創立。昭和25年、三校80年の歴史を閉じた。今も京大正門の向かいに三校の校門が残っている。





神楽岡(吉田山)
 この一帯に広がる丘陵、古い時代から神楽岡と呼ばれている。神楽の起源は天照大神が天岩屋戸にこもられたとき、天鈿女命が神懸りして演じたことにはじまるとされる。
 山上には三校寮歌碑「紅もゆる丘の花・・・」があり、若者たちが青春を謳歌したあとが偲ばれる。





吉田今宮神社
 
吉田山表参道二の鳥居北にある。木瓜大明神ともいい、古来から吉田町の諸病災難除け産土神として崇められている。社殿の隅に四神石があり、東南に青龍石、西北に玄武石、西南に白虎石、朱雀石だけは何故か社殿内にあるという。


吉田神社
 平安前期、中納言藤原山陰が自邸内に奈良春日神社を勧請し氏神として祀ったのが始まり、以来藤原氏の京都の氏神として発展し朝廷の崇敬を受けた。応仁の乱で一時存亡の危機を迎えたが、祠官吉田兼倶(唯一神道・吉田神道の始祖)によって再興された。

 同山内には摂社・末社として神楽岡社・若宮社・神竜社・菓祖神社・山陰神社がある。




大元宮
 
本殿から少し登ると、神社建築としては稀有の八角入母屋造の社がある。室町中期に吉田神社の祠官であった吉田兼倶が天神地祇の八百万神を祀る大元宮を設け、世界の大元はこの地に根ざし、すべての神々はここに集結すると提唱した。

宗忠神社
 黒住教の教祖・黒住宗忠と天照大神を祀る。宗忠は備前国の今村宮の神官で、江戸後期(1814)に黒住教を創始。宗忠没後、門人赤木忠春がこの吉田山に社殿を創建した。宮家(伏見・二条・九条)などの信仰を集め、慶応元年(1865)に孝明天皇の勅願所となった。

陽成天皇神楽岡陵
 宗忠神社の参道を下り、真如堂に向かう左側に陽成天皇御陵がある。陽成天皇(在位876〜884)は藤原摂関政治の始まりと云われる藤原基経の妹・高子を母に、8才の幼少で即位、17才で退位した。82才で崩御、この地に埋葬された。

真如堂
 正しくは真正極楽寺と言う。円仁の彫刻と伝わる阿弥陀如来(重文)を本尊とする天台宗寺院。紅葉の時期、参道からの三重塔の眺めは素晴らしく紅葉の名所となっている。



・・・真如堂を出て右に折れ、再び吉田山に登るまでの道筋に次の寺院が並ぶ・・・

一条道場迎称寺霊芝山大興寺徳池山極楽寺雲水山東北院

 
真如堂が元禄6年(1693)、この地に戻った時期を同じくして、洛中にあったそれぞれの寺院が、この地に移された。
 
後一条天皇・後冷泉皇后菩提樹院陵
 
後一条天皇は藤原道長の娘・彰子を母に、8才で即位。道長が栄華を謳歌した時代の天皇である。26才で崩御しここ神楽岡山麓に葬られた。

竹中稲荷社
 
後一条天皇陵をすぎたところを左に登ると吉田山中腹に稲荷社がある。由緒は明らかでないが古伝に「天保年間に京師幾満の子女群詣し昼夜の別なく満山に踊りす。幾千の鳥居が参道に建ち、雨雪に傘がいらなかった」とあり、天保年間は大変旺盛であった様子がうかがわれる。




後二条天皇北白河陵
 
大覚寺統の後宇多天皇の第一皇子。持明院統と大覚寺統の皇位争いのなか、2代続いた持明院統の後伏見天皇退位のあと、大覚寺統から第94代天皇として即位(1301)した。24才で病により崩御、ここ神楽岡北麓に葬られた。

百万遍長徳寺知恩寺
 
もと賀茂神社の神宮寺であったが、法然が当時に住し念仏を弘め、法然の弟子源智が継承、影堂を建てて念仏道場とし、寺号を知恩寺とした。その後、疫病流行に際して百万遍念仏を修したことから後醍醐天皇から百万遍の寺号を与えられた。

境内に柱の長さが違う不思議な鳥居がある。




・・・終り・・

神楽岡・吉田界隈の史跡を巡る


「紅もゆる丘の花・・・」と、かって第三高等学校の
若者たちが青春を謳歌した吉田山周辺の史跡を訪ねます。
京都大学を取り囲むようなこの付近には、古い史跡や天皇陵など
が点在し、静かで、そして緑豊かな自然に恵まれ
都会の中心とは思えないような環境です。