今回のウォークは阪急電車・東向日駅をスタート、西国街道を西に下り、長岡宮跡に唯一残る大極殿址史跡を訪ね、向日神社から長岡丘陵・竹の径を散策、洛西竹林公園まで約6kmのコースを歩きます。

西国街道
 京都の「東寺口」を起点に、向日町・摂津をへて西国に向かう古い街道。菅原道真が大宰府に左遷された時、秀吉が中国征伐に向かった時も通った道である。当時の面影を残す家並みが残っています。




長岡宮大極殿址
 桓武天皇が奈良から長岡に遷都(784)して、平安京に移るまでの10年間、都の中心となったところ。大極殿の基壇を復元し、緑地公園として保存されている。昭和36年以来、宮城の規模を確認する発掘調査が行われ、東西約4km、南北約5kmと平安京に劣るものでなかったことが判明した。


南真経寺
 鎌倉時代末期に日像上人の布教により、村人のすべてが日蓮宗に改宗したと言われる信仰の中心になったところです。阪急電車をはさんで東に北真経寺があり、併せて関西に於ける日蓮宗最初の寺で、日像上人が布教活動の拠点とした由緒深いお寺です。





須田家住宅
 屋号を「松葉屋」といい、幕末まで醤油の製造販売を営んでいた旧家です。西国街道と愛宕街道の分岐点にあり、この辺りの家並みを記載した古文書(1616作成)が残されており、松葉屋の名があります。江戸時代のはじめから続いていることを証明している。






説法石
 向日神社大鳥居南側に大きな石があります。京での布教活動を禁止された日像上人が、この石の上から西国街道を行き交う人々に説法をしたと伝えられている。






向日神社
 養老2年(718)の創祀と伝わる古社で、向日神・桓武天皇・火雷神・玉依姫命の四神を祭神とする。本殿(重文・室町)は明治神宮社殿のモデルになったと云われている。大鳥居のそばにある六人部家は歴代の宮司を勤め、幕末の国学者・六人部是香を輩出、坂本竜馬らが訪れたと言う。






向日山と元稲荷古墳
 向日丘陵最南端に位置し、向日市や長岡京市一帯の眺望がよく標高64mの台地をなしている。その山上に向日神社と元稲荷古墳があり、古墳時代前期(4世紀初)の全長約94mの前方後方墳である。刀剣・斧・土師器壺・埴輪などが出土している。墳上に稲荷社が祀られていたので元稲荷古墳と呼ばれるようになった。今は勝山公園として市民の憩いの広場となっている。



西の丘トリムコース
 向日神社を起点として、美しい竹の径を通り竹林公園を折り返す、5.3kmのウォーキングやジョギングのコース。春は筍の香り、夏は緑のそよ風、秋の名月との出会い、冬は雪化粧の竹林と四季を通じて楽しめます。






・・・・・ここからはトリムコースに沿って歩きます・・・

五塚原古墳
 古墳時代前期(4世紀)の全長94mの前方後円墳。発掘調査が行われてないため詳細は不明です。後円部の頂上が三角点(69m)になっている。







桓武天皇皇后高畠陵
 桓武天皇皇后・乙牟漏(おとむろ)は内大臣藤原良継の二女で、平城天皇・嵯峨天皇の生母。延暦9年長岡宮で崩御されこの地に埋葬された。近くの大枝には、光仁天皇夫人・高野新笠(桓武天皇生母)の御陵や藤原旅子(淳和天皇生母)の御陵もあり、桓武天皇にゆかりの深い土地である。






寺戸大塚古墳
 古墳時代前期(4世紀)、全長94mの前方後円墳。発掘調査により、三角縁神獣鏡など多くの鏡や管玉・刀剣類が出土している。







竹林公園
 洛西ニュータウン造成の際、伐採した竹林の一部を保存して公園としたもので、合せて世界中の竹約120種を植林し数十万本におよぶ竹・笹を主体に池泉回遊式庭園にしている。園内には応仁の乱の発端となった「百々橋」や、地下鉄工事で出土した旧二条城の石垣に使用されたと言われる石仏が保存されている。






竹のみち・長岡宮跡を訪ねて