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平安京遷都当時の遺跡は、わずかな石碑や記念碑が残るだけで
現在の市街地から当時の面影を偲ぶ事は困難です。

最近の二条駅付近の発掘調査から、巾60mの朱雀大路を中心に
壮麗な官庁街が建築されていたことが裏付けられてきました。
今回はその名残である千本通りを中心に、その付近
とくに出水七不思議とよばれる町並みを訪ねま
す。
   

朱雀門  千本通り押小路上ル付近 「このあたり平安京」の碑が建てられている。
 朱雀大路の北端に位置し、大内裏の正門。朝堂院正門・応天門と対じし、他の宮城門が五間三戸であったのに比し七間五戸の規模を誇り、二階建てであったことから重閣門と呼ばれた。
 

大極殿址 千本丸太町北西角
 明治28年(1895)に平安遷都1100年を記念して建てられた石碑。大極殿は天皇の即位など朝廷の儀式が行われた朝堂院の正殿。



               これより・・出水七不思議といわれる町並を歩く・・七本松から出水通り・・・

地福寺の日限り薬師
 当時の薬師は今から300年前のもので、鷹司家の病気平癒のため奉納されたと伝わる。
この薬師へ、穴のあいた石に五色の紐をとおし奉納して、日を限って祈願すると耳の不自由を治してくれるといわれている。




極楽寺の両小袖門
 普通の門には小袖門は一つですが、この門には左右両方にあり三つ門といわれている。この寺にある井戸水は豊公が茶湯に用いたところから金冶水と呼ばれるようになった。また勝井戸ともいい、この水を飲むと必ず勝負事に勝つといわれる。

観音寺の大門扉
 この寺の正門は伏見城の牢獄門といわれ、楠の一枚板で頑丈に細工されている。
刑期を終えた囚人は、この門をくぐって開放され「二度とこの門をくぐるな」「二度と罪をつくるな」と百回ムチで叩いて釈放したというので百タタキ門といわれる。

五却院の寝釈迦
 浄土宗の尼寺。門のくぐり戸の框に現れた木目が、釈迦の涅槃像に似ているのでありがたがられている。また、雀天狗という鬼瓦があり、これも不思議に加えられていたが今はなくなっている。




光清寺の浮かれ猫

 門を入ると左に西向きの玉照神社がある。今出川の伏見宮邸の鎮守を移したいわれているが、その社の壁に、ボタンの花に蝶が飛び、その下にネコをあしらった絵馬が掲げられている。夕闇立ち込め、花街から遊技の三味線の音が流れてくると、その節に合わせて絵馬のネコが踊りだすといわれている。

華光寺の時雨の松
 華光寺の不思議は秀吉のお手植えの松で「時雨の松」とも呼ばれ、その下に立つと露がポタリポタリと落ちたというのですが、大正3年に枯れてしまった。

玉蔵院の幽霊
 かって当寺に三幅対の軸があり、中央は安信筆の白衣位観世音、右は榊原文翠筆の大夫の図、左が円山応挙の筆になるという幽霊があって、幽霊絵の応挙筆とは珍しいといわれている。

善福寺の本堂
 浄土宗百万遍の末寺で、門をくぐると間をおかずに本堂が東向きに建っており「どうしてこんな窮屈な建て方をしたのだろう」と珍しがられている。

スッポン料理の老舗「大市」
 元禄年間に、初代近江屋定八が創業してから約300年スッポン一筋に17代続いている老舗で、現在の店舗は当時のままであります。
志賀直哉「暗夜行路」、川端康成「古都」、瀬戸内晴美「生きるという事」、檀一雄「美味放浪記」に「大市」が登場する。


千本日活
 水上勉原作、佐久間良子主演の映画「五番町夕霧楼」や今井監督の「真昼の暗黒」で有名な五番町遊郭の組合事務所があったところ。その跡に五番街東宝という映画館ができ、その後千本日活と改名して現在にいたる。

立本寺
 日蓮宗一致派の本山、毎年4月8日の花祭り、11月8日の日蓮上人の開山忌には鬼子母神に千団子をお供えし、希望者には幽霊飴が授与される。妙覚寺、妙顕寺と共に三具足山の一つ。

奥渓家住宅
 今の建物は創建当初(江戸初期)のもの。長屋門(市指定)は南面切妻、北面入母屋造り茅葺で、間口は元十一間(約20m)もあったという。表側に武者窓を設け内部は仲間部屋や馬丁小屋を残している。
主屋(市指定)は二階建瓦葺き、土間に供侍を備え、二階に茶室をしつらえる等、江戸時代の格調高い様式をよく伝えている。



法輪寺(だるま寺)
 通称「だるま寺」として親しまれている。境内にある達磨堂の約八千体の達磨と天井画は壮観である。わが国の映画関係者六百余霊の位牌をまつるキネマ殿や戦没者の英霊殿、多くのインド・中国産の竹を植えた庭もある。


竹林寺

「六角獄舎の斬首」で犠牲なった討幕派志士37人が眠っている。明治10年、西刑場跡から平野国臣・古高俊太郎らの遺骸が発見され、当寺に埋葬された。

(以上)