扇塚

平安末期の「一ノ谷の合戦」 で平清盛の甥・平敦盛が 16 歳で亡くなった時、妻は夫の菩提を弔うため、「蓮華院尼」と称して この御影堂で出家した。その時、ここで寺の僧とともに扇を作ったと言われている。
扇は 「衵扇(あこめおおぎ)」と呼ばれ、女性が正装の際に手に持つ扇であった。 その扇はやがて「御影堂扇」として名が知れ渡り、この地に扇職人が多く移り住み、長く扇の名産
地として栄えた。
みそそぎ川
みそそぎ川は、鴨川右岸を鴨川に並行して流れる全長約 2.5 ㎞の人工の水路である。名称とし て「みそそぎ川」と呼ばれているが、法的には通称であり、行政上は鴨川の一部とされている。
賀茂大橋、荒神橋間で鴨川から分流して鴨川公園の地下を暗渠で流れ、丸太町橋下流で地上に 現れて五条大橋北付近で再び鴨川に合流する。その間、二条大橋下流付近から
高瀬川に導水 するほか、二条大橋~五条大橋までの間で納涼床の下を通る流れとして利用 されている。
レストラン菊水のカメラ

四条大橋東詰のレストラン菊水屋上に監視カメラが設置されている。テレビ中継されるのはこの カメラによる。
四条大橋東の芝居小屋

四条大橋東詰北側のビルに「北座」の名前が見える。江戸時代四条大橋東側に幕府公認の 芝居小屋が7つあったが次第に衰退し、幕末には南座と北座だけになった。その北座も市電敷設
工事にともなう四条通の拡幅で取り壊され、1893 年廃業し大阪に移った。現在は北座を模した ビルに井筒屋が入っている。
竹村屋橋跡

かつて、「竹村屋橋」という木造橋が四条大橋の北100m)ほどの所に架けられていた。橋の西詰 にあった料亭「竹村家」が、私費で架けたことからこの名が付いたもので、架橋年は不明。
明治時代の地図には、「車道橋(くるまみちばし)」と書かれている。 竹村屋橋は、長さ46間(83.6m)、幅1間1尺(2.1m)。鴨川西岸の先斗町から対岸(東岸)の川端町
に通じていた。橋の中間点から少し西側には河原に降りる掛け橋が設けられ、手摺も付けられて いた。橋は昭和10年の「鴨川大洪水」により流されたらしい。また、橋は先斗町に東岸から女遊びに(極楽)行くために渡る橋だったので、「極楽橋」
とも言われた。
先斗町名前の由来

、ポルトガル語で先端や突き出た場所を意味する「ポント(英語の point)」 から来たという説が有力であるが、この地は鴨川と高瀬川の二つの川(皮)に
挟まれてまるで 鼓(つづみ)のようで、鼓は打つと「ぽん」と音が鳴るからという説もある。先斗町歌舞練場の正面 上方に2個の鼓を持つ蘭陵王(らんりょうおう)の鬼瓦が付いている。
三条大橋
天正18年(1590 年)。秀吉の命により五条大橋と共に増田長盛を奉行として石柱橋脚の橋が架けられた。その後、 元禄、明治、大正と架け替えが行われた。現在の橋は
1950 年 4 月に完成し、橋長 73m、 幅員16.7mで、木製の欄干は2度更新されている。 全部で18個ある擬宝珠のうち、天正18年当時のもの14個が残されており、池田屋事件の際に
ついたといわれる刀傷も残っている。
【三条河原は処刑場】 石川五右衛門、豊臣秀次とその一族)、 石田三成、近藤 勇 他
鴨川の飛び石
飛び石は、河床の安定と砂利の流出を防ぐことを主な目的として設けた横断構造物の上に色々 な形に模したコンクリートブロックを配置したもので、水位が低い時には人が渡ることができるとい
う役割も果たしている。 鴨川の飛び石は、約 30 数年前に「河川環境整備」の一環で親水機能を合わせ持つ仕組みに チャレンジした技術職員の試みが「鴨川を代表する風景」に成長していったもので、6ヶ所設置され
ており、中でも「出町」(鴨川デルタ)と「北山」(植物園西隣り)は映画・ドラマのロケ地にもなっている。
子供の遊び用「電話パイプ」跡

子供達の遊具のひとつとして、“糸電話”のように地中に埋めたパイプを伝って音が 10m ほど 反対側に通じる仕掛け。現在はパイプが土砂で詰まって使用不能になっている。