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ウォークの地図

墨染通・大亀谷を経て六地蔵まで 道長が通った道を行く

藤原道長は、平安京から鴨川をわたり墨染から大亀谷を越へ六地蔵から木幡、宇治へと入った。このコースを参加者124人と歩きました。

  桜町大神宮

平安時代に桜町中納言と呼ばれた藤原成範(ふじわら のしげのり)によって建立された。藤原成範は桜花の命が短いことを惜しみ、篤く信仰していた天照大神に、もっと長く咲き続けられるよう祈願すると、神はその願いを受け止め、花の寿命を37日延ばされたと伝わる。ご神木は桜。
豊公伏見城築城の際に、城郭内にあった「佐田彦神社」をここに移して合祀すると秀吉はこの地の桜花の永いのを愛し、春ともなれば度々桜花を愛でるために武運祈願の参拝を兼ねて盛大な宴を催した。現在もこの社は佐田彦大神の徳「縁結び」「交通安全」の神として尊崇されている。


  古御香宮

日本第一安産守護之大神とされる「神功皇后」を始め九柱の神をまつる当社は、深草大亀谷敦賀町を中心とする「峠」一帯の氏神として深く信仰されている。
文禄三年(1594)、豊臣秀吉は伏見築城にあたり、城内鬼門除けの神として伏見九郷の石井村にあった「御香宮」をこの地に遷し、本殿等を造営して社領三百石を寄進した。能舞台や本殿が建ちならんでいた。
 秀吉の没後、天下人となった徳川家康は慶長十年(1605)城下町の人心の安定を願って、この神社を再び元の地に戻した。秀吉の造営した本殿は江戸末期に大破し、その後に建てられたのが現在の本殿である。
 こうした経緯から地元の人々より「古御香宮」と呼ばれ、十月御香宮神幸祭には神輿の御旅所として神輿渡御がある。秀吉がここに神社を祀ったのは、隣接する「桓武天皇陵墓参考地」を保護する必要上とも伝えられている。尚、明治維新、伏見の戦いに際して、一時御香宮の御神霊が遷御された。



  等泉寺

等泉寺は浄土宗で、もともとは宇治川の南にある向島東泉寺町に建てられていたそうですが、度重なる水害のために現在の地に移転された。江戸時代の延宝4年(1676)に頓誉円西上人によって中興されました。寺伝では天明年間(178188)に浅井長政の子孫と伝えられる薫誉智香尼が再中興して尼寺となり、後に男僧寺院となりました。本堂には恵心僧都(えしんそうず)の作と伝わる本尊・阿弥陀如来像を安置している。また、門前には、なまぐさものと酒を禁ずるという意味の「禁葷酒(きんくんしゅ)」と刻まれた石標があります。江戸時代には浅井長政の子孫が復興したとされる。


  仏国寺

天王山と号し、黄檗宗万福寺に属する。延宝6年(1678高泉性潡(こうせんしょうとん)和尚がもともとこの場所にあった永光寺を復興して仏国寺と名づけたのがはじまりである。高泉和尚は中国福清の人で寛文元年(1661)隠元禅師の招きで来日し万福寺5世となり、元禄8年(1695)に歿した。後水尾上皇より「大円覚」の宸筆勅額を賜わり、往時に講堂を完備していたが、明治維新の後、荒廃し、現在本堂と庫裏をとどめるのみである。本堂には釈迦三尊と毘沙門天を安置する。
 境内には、開山高泉碑(重要文化財)があり、正徳元年(1711)鋳造した中国風の銅碑として有名で、高泉和尚の教えをうけた近衛家熈(いえひろ)の撰文である。また江戸初期の代表的茶人、作庭家で伏見奉行でもあった小堀遠州(遠江守政一)の墓などがある
ほかにも乞食として生きた禅僧桃水雲渓の墓もある。


  八科峠(木幡峠)

「八」は多い、「科」は階段状の意味で急な険しい道であることからこう呼ばれた。
秀吉が伏見城を築城するにあたり木幡の関の通行を禁じ、八科峠を開削した。


  伊豫親王巨幡墓

御霊八所の神。伊豫親王は桓武天皇の第3皇子(異説あり)。母は右大臣藤原是公の娘・藤原吉子官位 は三品・中務卿一品平城天皇に対する謀反の罪により母とともに幽閉され、飲食を絶たれて自殺した(伊予親王の変)。実際はこの辺りの古代豪族の古墳とされている。


  大善寺

法雲山浄妙院。飛鳥仏教天台宗浄土宗。開山は定恵。(定恵は藤原鎌足の子、弟は不比等)
709
年(和銅2年)大和多武峰から来住し、一寺を創立した。次に円珍(一説に円仁)が勅を奉じて、地蔵尊像を安置して再興。のち地蔵信仰が盛んになり毎年8月の地蔵盆には参詣する人が多く、京都六地蔵の1つである。

<六地蔵>六地蔵の名前ができたのは平安時代で、小野篁が六体の地蔵を作成したのがキッカケとされている。
小野篁が熱病に侵されて苦しんでいる時、地獄に落ちた夢を見た。地獄で人々の苦難を救済している人物がいる、それが地蔵菩薩。地蔵菩薩は、地獄だけでなく、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上をめぐりながら、縁のある人を救っていると言った。6つの世界、六道輪廻の教えとなる。


距離や時間、場所など説明があればここに書いてください

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