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        ・・・平家物語・源氏物語ゆかりの地を訪ねて・・・・・

小督塚 渡月橋東詰南に琴きき橋の碑が、そして少し北に上がった所に小督塚があります。
「平家物語」巻六の舞台となったところです。
宮中一の美女、琴の名手だった小督局は高倉天皇の寵を得たが、中宮建礼門院の
実父平清盛ににらまれ、ひそかに御所を抜け出しここ嵯峨野に身を隠していました。
そして・・・・・



大堰川沿いを少し歩き、保津川下りの船着場手前を東に入ると天竜寺があります。
ここは平安初期の亀山離宮跡、宮廷人の遊学の地でありました。

野宮神社 天竜寺を通り抜け、案内標識に沿って
暫らく歩くと野宮神社があります。
伊勢神宮に奉仕する未婚の皇女斎宮が、伊勢へ赴く
までの期間、禊ぎ籠りをした御所(野宮)の跡と伝えられています。
「源氏物語」賢木の巻に、この黒木の鳥居や小柴垣が今と同じ情景で語られています。

更に奥に、竹林の小道を散策しながら進みます。
大河内山荘を右に曲り、トロッコ電車の嵐山駅を下に見ながら、小倉山のふもと小倉池の
横を歩きますと常寂光寺の三門です。

常寂光寺 小倉山中腹にあり、あたかも常寂光の感があるところから寺名となったと言われ、
周りに塀がなく、小倉山と一体となった景勝の地です。
寺内に藤原定家が小倉百人一首を撰した時雨亭跡があります。

少し下がり、左に曲がると落柿舎が見えてきます。


落柿舎 芭蕉門下十哲の一人、向井去来閑居の跡です。
この庭に40本の柿ノ木があり、ある年、柿の実を商人に売る
ことを約したが、
あいにく一夜の内にことごとく落ちてしまったことから落柿舎と名付けられたと言われています。
元禄四年(1691)芭蕉が落柿舎を訪れ17日間滞在、嵯峨野を探訪、
その時の随想が有名な「嵯峨日記」です。



  更に奥に進み、民芸店を覗きながら歩きます。
二尊院を過ぎ案内標識に沿って左寄りに進みます。突き当たりに平家物語ゆかりの祇王寺と滝口寺が隣りあってあります。


祇王寺 「平家物語」巻一に描かれている祇王祇女・刀自・仏御前が現世の無常を
痛感し尼となり余生を送ったところです。
今は、非情なしうちを恨むことなく、平清盛と祇王ら四人の尼僧像が並んで安置されています。



滝口寺 「平家物語」巻十に描かれている
滝口入道横笛ゆかりのお寺です。
平重盛家臣滝口入道と、建礼門院の雑士横笛の愛は、
身分の違いから猛烈な親の反対に合います。
滝口は横笛を諦めることが出来ず悩んだ末、出家隠遁の
道を、この地に選びます。
これを伝え聞いた横笛は、この草庵を探し訪ねます。
しかし、会うこともできず、大堰川の千鳥ヶ淵に身を投じたとの噂です。


今きた道を二尊院まで戻り、嵯峨清涼寺に向かいます。途中左側に厭離庵の案内札があります。ここも藤原定家の小倉山荘跡と言われていますが、今は見る影も無く荒れ果てています。


清涼寺 平安時代初期、嵯峨天皇12番目の皇子源融(みなもとのとおる)の山荘跡です。
源融は「源氏物語」光源氏のモデルと言われています。
境内には源融の立派なお墓があり、霊宝館には子息が造立した阿弥陀尊像が安置されており、
その姿は光源氏さながらの風流貴公子の面影を伝えています。
清涼寺本尊釈迦如来像は国宝で、三国(インド・中国・日本)伝来の生身のお釈迦さまとして
広く信仰されています。