母なる恵みの琵琶湖疏水分線を辿る

 古より京の都は「山紫水明処」と呼ばれています。京の美しい景観と良質の水は酒、豆腐、茶
の湯、染物など多様な文化を育んできました。
 そして、京都市民の生活と生命の源となっているのが、明治時代に完成した琵琶湖疏水です。
京都市内で唯一、北に流れる疏水分線を銀閣寺道から松ヶ崎浄水場を経て、京都コンサートホ
ールまで歩きます。桜が美しいコースです。

蹴上から分線し北へ、南禅寺の水路閣を流れ、哲学の道から銀閣寺門前へ。このあたり
東今出川通に沿って流れを西に変える。画像は浄土寺橋(白川通今出川)からの眺め。
左手に吉田山を見て、このあたりで流れは右にカーブして再び北上する。

しばらく進むと、分線は志賀越道を潜る。ここで少し横道にそれる。
志賀越道を東に約50m入ると左手にスパニッシュ・ミッション様式の建物が見える。
京都大学人文科学研究所分館。昭和5年、東畑謙三・武田五一の設計。

分線に戻る。左手に京大農学部グラウンド。
この辺りを花折断層が通る。グラウンドに降りて疏水を眺めると、断層の様子がうかがわれる。


≪ 御蔭通を潜り北に進む、両側に桜並木が続く ≫
御蔭通を過ぎ、疏水分線を約200m北上すると右手に、ヴォーリズ建築で知られる駒井家住宅
がある。建築当時(昭和初期)、周りはお花畑ばかりで、東に大文字山、北に比叡山を望める
よう建てられたという。駒井卓博士は京都帝国大学理学部教授。
駒井家住宅から100mほど進むと、いっぷう変わったスパニッシュコロニアル様式の古びた建物
『銀月アパートメント』がある。青幻舎『京都の洋館』に紹介されているが、築年、設計者など不明。
不動産屋の紹介欄に、4畳半・20室・風呂便所なし、空家待ち、とある人気アパート。
最近映画『クローズドノート』、『鴨川ホルモー』の撮影に使われた。
玄関看板、銀月アパートメントの文字がかすかに読み取れる。
東鞍馬口通を過ぎたあたりから北西にカーブし、北大路通を潜り、叡山電鉄線路の下を横断
して流れる。
ここで疏水沿いの散策道はしばらく中断する。北大路通を西に進み元鐘紡工場跡を訪ねます。
元鐘淵紡績株式会社京都工場跡。
明治41年操業の絹糸紡績工場で赤煉瓦造の大工場(約5万坪)でした。昭和50年に操業停止
して、住宅公団高野住宅となる。画像は当時のボイラー室で、現在は高野第三住宅の集会所と
して利用されています。京都の『産業遺産』
高野第三住宅集会所前の大原道を北に300mほど歩き、疏水分線に戻る。
疏水に架かる『赤の宮橋』右手に『賀茂波爾神社』がある。地元では『赤の宮』さんと呼ばれ親しま
れている。賀茂御祖神社(下鴨神社)の第4摂社。
葵祭に先駆けて行われる御陰祭は、八瀬の御陰神社で神移儀式のあと、ここに立ち寄り下鴨神
社に向かう。
赤の宮から200mほど西に進むと疏水分線は暗渠となり高野川に合流する。
疏水分線は高野川の対岸(松ヶ崎浄水場南)で姿を現して鴨川まで続く。当初は疏水の流れも高野
川を暗渠で潜り(サイホン式)対岸に通じていたが、洪水対策のため高野川の底を深くしたとき暗渠
溝は撤去されたらしい。
高野川左岸を上がり画像に見える『松ヶ崎人道橋』を渡り松ヶ崎浄水場に向かう。
松ヶ崎浄水場。昭和2年、京都で2番目に出来た浄水場。送水能力1日当り25万立方M。
琵琶湖の水を、蹴上貯水場から疏水分線沿いに地中導水管を通して取水している。
疏水分線(ここからは疏水分線と言わないそうですが)は、松ヶ崎浄水場前で再び出現する。
水の流れは殆どない。浄水場から少量の水が流れ込んでいるので、琵琶湖の水が流れてい
ると言えるのかも知れはい。
老木となった桜並木が延々と続き歴史を感じさせている。
流れが少ないので河底に草が茂っている。
両岸に水仙と桜が咲き競っている。この画像、4月7日撮影で水仙は花見期を過ぎている
この辺り、、6月下旬頃には蛍が飛び交い見物客が訪れる。
浄水場前から700mほど進んだ所で泉川と交差し、その流れを疏水分線
に一部取り入れ、水量を増やしている。
この辺りから疏水分線は西南にカーブして賀茂川に向かう。
下鴨本通の一つ手前を上がり、2筋目左方に『京都ギリシアローマ美術館』がある。
明治5年に正倉院の学術調査を行い、国宝指定制度と国立博物館の必要性・設立に貢献した
蜷川式胤博士の偉業を記念して昭和62年に『式胤記念館』を、お孫さんの蜷川明・岸子夫妻
が設立した。その後、ご夫妻の40年に渉るギリシャ・ローマのコレクションを永く保存するととも
に一般公開するために平成9年に『京都ギリシアローマ美術館』として開館した。
今回のウォークは、ここか西に歩き、下鴨本通を横断直進、突き当りの植物園東道を右折(北)
して『京都コンサートホール』でゴールします。(地下鉄北山駅)
疏水分線の続き
『京都ギリシアローマ美術館』に立ち寄らず、疏水分線を進むと(この辺りから西南にカーブ)
下鴨本通りを潜り、北大路通りの手前から暗渠になり賀茂川(北大路橋150m下流)に流れる。
その暗渠の上は緑地となり、近辺住民のお花畑になっている。
当初は更に、賀茂川を潜り堀川に流れていた。現在の紫明通はその名残である。
『京都ギリシアローマ美術館』
以下の画像は、疏水分線両岸に近在住民の人たちが四季折々のお花を咲かせている様子です。
2011.4.7撮影
以上