
蛤御門
[はまぐりごもん]
1864(元冶元年)長州藩の復権を迫るも拒否され、武力をもって御所に攻め入り幕府軍と戦闘の中心となった所。
激戦の玉傷が今も御門の梁に残っている。 この戦いを"蛤御門の変"とも"禁門の変"ともいう。
凝華洞
[ぎょうかどう]
蛤御門の変で京都守護職松平容保が幕府軍の指揮をとった所。
建礼門
[けんれいもん] 天皇が臨幸されるときに開かれる門。孝明天皇が1863年上下加茂神社・石清水神社に行幸されたとき開かれた。

むく椋の大木 清水谷家の椋の木。蛤御門の変で嵯峨天竜寺から長州遊撃軍を率い戦った来島又兵衛が討死した地。
御車返の桜 [みくるまがえし]
一本の樹に一重と八重の花がいり混って咲き、貴人が牛車を引き戻して花びらを数えたことから名づけられた。
縣ノ井[あがたのい] 一条家の邸内井戸、明治天皇の皇后(昭憲皇太后)がお育ちになった御産湯の井戸。
乾御門
[いぬいごもん] 九門御固として薩摩藩が守った門。

薩摩藩邸跡
坂本竜馬の奔走で薩長秘密同盟の舞台となった所。維新後この地に新島襄、山本覚馬が同志社英学校を設立、現同志社大学の前身。
冷泉家
[れいぜいけ] 御所周辺に二百以上あった皇族、公家邸も遷都で東京に移ったが、唯一、冷泉家だけが当時のまま、この地に残る。
桂宮邸跡 皇女和宮、将軍家茂に降嫁の出発跡。この邸は安政元年の禁裏御所炎上後、仮御所となっていた。
朔平門
[さくへいもん] 桧皮葺の四脚門で女御入内の時などに開かれた。この門外・猿が辻で姉小路公知卿が暗殺された。朔平門外の変という。

猿ヶ辻 築地塀の東北角に烏帽子姿で御幣を担いだ猿の木像が鬼門除けとして置かれている。ここを「猿が辻」という。
祐ノ井
[さちのい] 明治天皇(幼名祐宮)生誕の地。この夏は干天で、新しく井戸を堀ったところ清水が涌き出たので祐ノ井と名付けた。
有栖川邸跡
[ありすがわ] 皇女和宮の婚約者であった有栖川宮たるひと熾仁親王邸跡。和宮との婚約解消などで御所南の御花畠に移った。
姉小路邸跡 [あねがこうじ] 公家攘夷派の急先鋒の一人であった姉小路公知邸跡。
橋本邸跡 皇女和宮生誕地。御父仁孝天皇、御母橋本経子。
松木の桜 黒松の中に桜が生え珍重されていた、平成8年4月17日倒木、松は枯れたが、桜は生え続けている。

学習院跡 現東京の「学習院」の名称はここに由来する。
仙洞御所
[せんとうごしょ] 退位した前天皇(上皇)のお住まいが仙洞御所、その御配偶(皇太后)のお住まいが大宮御所。
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