ランプ小屋


拝殿の釣灯篭






























 朱の鳥居で有名な稲荷大社は,和銅4年(711)以来の神社といわれ,全国に約4万あるといわれる稲荷社の総本社である。
 元はこの地に勢力のあった秦氏が,五穀豊穣を祈った農耕神であったようだが,後世には商売繁盛の神様として民間の信仰が篤い神となり,多くのエピソードや名物がある。

 創始者の秦伊呂具(はたのいろぐ)が,餅を的に矢を射ると,餅は白鳥となって山の峰に飛び去った。この場所に稲が生えたので社を営み,イネナリ社としたという。また,この地は元は藤森神社の所有であったが,稲荷社が藁の置き場として一部を借用したいというので,藤森神社が承諾すると,稲荷社が藁を一本ずつ繋ぎ合せて広大な敷地を取られたとか。なかなか面白い。

JR稲荷駅南に接してレンガ造りのランプ小屋がある。旧国鉄東海道線の名残で,明治13年7月15日完成,大正10年8月1日まで営業していた建物で,旧逢坂山トンネルと並ぶ遺構である。東海道線の開通によって,地酒に過ぎなかった伏見の酒造メーカーは,全国区となった。伏見から酒樽は,豪川,疏水を経て稲荷駅に集積されて,関東へと出荷されていった。今はひっそり佇むランプ小屋や桜の名所となった疏水小路も大動脈の時代があった。

 二の鳥居をくぐると,楼門に迎えられる。天正16年(1588)豊臣秀吉が母の大政所の病気平癒を願ってその祈祷料によって建てられたものといわれる。
 そして,拝殿へ出る。この拝殿の軒先には,鉄製の釣灯篭があって,その図柄が12の星座を現していて,大変珍しくて面白い。 
 本殿は,内拝殿に接していて,側面から出ないと良く見えないが,神社らしく流造で,明応8年(1499)のもので,当時と変わらなく参拝者が絶えない。(当時は知りませんが・・・)


本殿の後方階段を行くと奥宮がある。こちらも由緒ある建物で,奥宮の左には白狐社があり,この白狐社の北側面には穴が開いている。この穴は,神の使いの白狐が出入りする穴とか・・・

いよいよ千本鳥居のトンネルを行く。本当に千本近くの鳥居があるのだ。しかも半数以上の鳥居は平成以降の奉納で,メンテナンスの職人さんを見ない日はないという状態だから現在でも人々の信仰の篤さが伺われる。
 すぐに鳥居のトンネルは二手に分かれる,恋人同士は左右に分かれて進み,タイミングが合えばまた出逢って手をつないで奥の院へと参拝できる。
 奥の院には,「重かる石」があり,灯篭上の擬宝珠状の石に願いを賭け,その石を持ち上げて想像より軽く感じると願いが叶うと言う石で,週末は行列ができる。

さらにお山めぐりを行くと,左に「根上がり松」がある。枯れた根上がり松をコンクリートで補修した状態だが,神棚と灯明立てが設けられて,参拝者が絶えない。
 やがて石段を行くと,池の畔の熊鷹社に出る。これから廻るお山には小さいながら,「お塚」と呼ばれる信者ご自身の「マイお稲荷さん」が鳥居の数の何倍も設けられている。凛と掃き清められた石碑周りには灯明,線香など供物が絶えない。

おさんば池北からの登り道との出合「三つ辻」へ出ると,そろそろ登りが始まる。千年前に清少納言が「もうだめ!」と,シャリバテを起こしたのもこの辺かと想いを巡らして進むと,視界が開けて「四つ辻」に出る。振り向くと伏見を中心に西山,石清水八幡宮の小山が展望できる。
 四つ辻から真直ぐ下る道は,右回りコース,右道は左回りで一ノ峰コース,左道は荒神ヶ峰から京都トレイルの東山コースに合流する。荒神ヶ峰からは,京都市内の眺めがよく,その向こうに愛宕山が良く見える。

真直ぐ谷道を下ると,杉の古木が御神体の大杉社,眼病平癒の信仰のある眼力社へと下る。眼力社の狐さんの口から清水が出ており以前はお山の水源だったことを示したいる。眼力社に隣接して御膳谷のお塚があり,無数のお塚が設けられており,古くは中の社であったらしい。
 御膳谷から石段を登ると春日峠へ出る。ここは紅葉谷とも言われ,紅葉のころの風景が見事で京都市内も一部垣間見える。

峠を下ると,薬力社で,御膳谷から分かれた下り道と合流する。薬力社は薬の世話にならない生活を願う社で,薬力の滝やおせき社もある。おせき社は,喉の病の平癒の信仰があるという。
 薬力社から登り階段の手前左側に山科大石内蔵助閑居跡への分かれ道がある。しかし山科へは,この道から始めての谷道を右に行かなければ,東福寺方面に出てしまうだろう。

階段を登ると長者社神蹟で通称御神体の剱石から「みつるぎさん」と呼ばれている。また焼刃の水は平安の刀工三条小鍛冶宗近の伝説もある。千年も前,一条天皇の勅命で,稲荷の土を使って名刀小狐丸を鍛えたというが,この話は粟田神社周辺にも残るが・・・
 135年前の明治元年ころには,伯耆の国(鳥取県西部)出身の鍛冶,宮本包則は勤皇の公卿,三条西季知から佩刀作製の命を受けて,先の宗近の例に倣いここに参篭して銘刀を鍛えたといわれ,右手に記念碑がある。当時の刀の二振りは稲荷大社に奉納されており,現存する。

さらに谷道を行くと春繁社へ,幽玄な杉林の階段を登ると末広の滝,山科分岐を経て一ノ峰に着く。
 一ノ峰は山之社神蹟といわれ,お山めぐりでは最高度の社であり,明るく南への展望が良い。
 道は二ノ峰,間ノ峰,三ノ峰へと尾根伝いに四つ辻へと返る。各峰の社には多くのお塚が,所狭しと並び参拝者が後を絶たない。軽車両の進入できる四つ辻から,お供えの品々を担いでボッカは上がってくる。
 間ノ峰に祀られる荷田社の鳥居は,明神鳥居とは少し変わっていて,額束が千鳥破風状の構造で稲荷鳥居では珍しい。

四つ辻からは,三つ辻へ下り,右へ道をとり毎日稲荷社,豊川稲荷社と下る。豊川稲荷には足腰にご利益のある「腰神不動尊」がある。道は荒木社,道教神,戸川社,鬼子母神,間力(ダルマ)教会,あ産婆稲荷と社のオンパレードだ。
 土日祝日ともになると,出店は大繁盛だ。名物の神具店,焼き鳥屋を始めとして裏参道には,両側に出店が並ぶ。中には笑える置物まで置いてあり,庶民の神社として伏見稲荷は21世紀も健在である。

伏見稲荷大社










































































































































     
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