八瀬遊園地跡
大正14年(1925)京福電鉄ケーブルカー敷設、八瀬川流域に遊園地を展開。料亭、旅館、茶店が点在。清遊地として、市民に親しまれた。「スポーツバレー京都」、「森の遊園地」などに変遷。平成13年(2001)37年の歴史に幕を閉じる。
現在跡地がホテル「エクシブ八瀬離宮」となった。
袋中庵八瀬別院跡
江戸時代初期、袋中上人(1552〜1639)が、隠居所として元和元年(1619)に東山五条に営んだ小庵「袋中庵が尼寺として継承されたもの。平成11年(1999)、妙心寺近くの花園御堂が完成し移住。現在、跡地は料亭となっている。真山 ?(かけ)観音寺
本尊は自然石に線彫した?観世音菩薩。
平治の乱に敗れた源義朝が、家臣の斎藤別当実盛、蒲田兵衛正清、頼朝(13歳の初陣)等を引き連れ、東国に落ちのびる道すがら、この千束ヶ谷崖の峠にて駒諸共転び落ちしが、不思議と一寸の傷もなく、これは観音のお慈悲と、峠の大岩に矢じりを持って観音像を刻み、源氏再興を主従とともに願ったと伝えられる。
義朝駒飛石
九頭竜大社

昭和29年(1954)創建。祭神は九頭竜弁財天。
宇宙を司るみちびきの神、慈悲の神で、延寿、諸所の技芸に通達するといわれる。
妙伝寺

元和2年(1616)妙伝和尚開基、本尊は如意輪観音半跏像。
北尾谷竹林寺の末寺と記録され、歴代住職も北尾の僧が来寺していたあようである。天皇家の葬礼における、八瀬童子が棺を担ぐ習慣が明治天皇の葬送に当たり復活している。
当寺では、毎月60歳以上の八瀬童子が集まり、後醍醐天皇始め歴代天皇、皇后、秋元喬知などの報恩、念仏法要が行われている。
最上部へ戻る
八瀬小学校
八瀬小学校の校章は「瀬」の字と三本の矢でデザインされている。千三百年前、壬申の乱の大海人皇子(天武天皇)が背に矢を受け、この傷を治すため村人が献じたのが「釜風呂」である。
この故事を紋章とした。赦免地踊りに使う燈籠の切り絵は、八瀬小学校の四年生から取り組んでいる。
八瀬釜風呂

内部は、約六畳敷くらいの円形になった釜風呂で、暗い。
摂氏48〜49度あり、壁や床面の反射熱と塩分や青木葉の発散する香気を取り入れ、呼吸もサウナより安易である。貴族や文化人の保養の場となっていた。
風呂敷、浴衣、湯もじなど、いずれも釜風呂を利用するために用いたものであり、京都有形民俗文化財に指定されている。
矢負板地蔵
八瀬天満宮付近の旧道を矢負坂と称することから、こう呼ばれる。
右手に錫杖、左手に宝珠を持つ。
美智子皇后の歌碑

平成16年に大宮御所の前庭において、八瀬の赦免踊りをご覧になり、美智子皇后が詠まれた歌碑である。後醍醐天皇から六百年続いたご縁である。
弁慶の背比べ石
やく1.5メートルの石が参道右手にあります。
官公腰掛の石

菅原道真が腰を掛けた石といわれています。
八瀬天満宮
八瀬の人々は太宰府天満宮には訪れるが、北野天満宮には参拝しないといわれる。
八瀬天満宮は、北野天満宮より古い天満宮である。
一年神主になると、北野天満、近江白髭神社、愛宕山、貴船神社に詣でる。
一年神主は「高殿」と呼ばれ、祭礼を執り行う。・・・「高殿」には、四足を食さないなど、厳しい決まりがある。
八瀬界隈の地図
